当初の計画では12人の使徒を描くだけの予定でしたが、ミケランジェロは教皇と交渉し、最終的に300人以上の人物がひしめく壮大な物語へと変更させました。[1] 中央の「アダムの創造」を含む創世記の9つの場面は、伝統的な宗教画の枠を超え、ミケランジェロが聖書を読み込み独自に解釈したものです。[1]
足場に穴を開けて吊るすブラマンテの案を拒絶し、ミケランジェロは天井に触れない独自の自立式足場を考案して、首を痛めながら描き続けました。[1]
1512年の万聖節の前夜、ついに完成した天井画が公開されると、その圧倒的な迫力に人々は言葉を失い、ミケランジェロは「神のごとき」と称えられました。[1] 依頼主のユリウス2世は「戦士教皇」と呼ばれ、ミケランジェロと激しい口論を繰り返しました。怒ったミケランジェロがローマから逃亡した事件も起きています。[1] 天井画の以前の姿は、青い背景に金色の星が散りばめられただけのシンプルなものでしたが、1504年に発生した大きな亀裂が修復のきっかけとなりました。[1] ミケランジェロは自分を彫刻家だと信じており、この絵画の依頼を「罠」だと疑って拒否し、ライバルのラファエロに譲ろうとさえしました。[1] この巨大プロジェクトの報酬は3,000デュカート。現代の価値に換算すると約60万ドル(約9,000万円)という、当時としても破格の契約金でした。[1] 完璧主義の彼は、フィレンツェから呼んだ助っ人たちの腕前に満足できず、結局彼らを追い返して、ほぼ全行程をたった一人で描き上げました。[1] 建築家ブラマンテは、フレスコ画の経験が浅いミケランジェロが失敗することを見越して、教皇に彼を推薦するという陰謀を企てていたと言われています。[1]