

過去の自画像とは異なり、筆もパレットも、宮廷画家の華やかな衣装も一切描かれていません。職業的地位を捨て去り、ただ一人の人間として鑑賞者と向き合う「最も誠実で直接的な自画像」と評されています。[1] 乱れた髪と開いた襟元は、当時の肖像画としては異例の「だらしなさ」です。これは単なる加齢の表現ではなく、図像学において画家の「創造的天才」と「抑えきれない想像力」を象徴する表現です。[1] プラド版では、かつらが後ろに少しずれて、下から地毛の白髪が覗いている様子が描かれています。かつての宮廷画家の栄光を脱ぎ捨て、老いと病に直面する一人の人間としての弱さをあえて晒け出しています。[1] アカデミー版の頭部の極端な傾きは、鏡を見ながらイーゼルに向かう画家の姿勢をそのまま写し取ったものです。自らを客観視する冷徹な視線と、制作中の生々しい身体の動きがこの一枚に凝縮されています。[1]
プラド美術館の版には、筆の柄で生乾きの絵具を削って書かれた署名が隠されていました。1993年の修復で古いニスが剥がされるまで、その正確な制作年や詳細は170年以上も謎のままでした。[1]
長年、プラド版はアカデミー版の「後世の模写」だと過小評価されてきました。しかし1993年の調査で、実は両方が同時期に描かれた真作であることが判明し、美術史上の評価が劇的に覆されました。[1] 1815年、ゴヤは『裸のマハ』が「わいせつ」であるとして異端審問所に召喚されました。この自画像は、投獄や処罰の恐怖に晒されながら、自身の芸術的尊厳を証明するために描かれた可能性があります。[1] 69歳のゴヤの表情には、彼を外界から完全に孤立させていた「失聴」の苦悩が刻まれています。虚空を見つめるような鋭くも虚ろな眼差しは、音のない世界で内面と対峙し続けた画家の孤独を物語っています。[1] 政治粛清が行われる中、フランス協力者の疑いをかけられたゴヤ。友人たちが亡命し、妻も亡くした孤独な老画家によるこの自画像は、逆境に抗う静かな、しかし力強い「生存証明」でもあります。[1] 戦後の困窮と物資不足のため、ゴヤはこの時期、完成した作品の上に別の絵を重ねて描くことを余儀なくされていました。本作の暗く沈んだ色調は、使える絵具が限られていた現実も反映しています。[1]