

背景のモザイクには、自分の胸を突き刺し血で雛を育てる「ペリカン」が描かれています。これは人類を救うキリストの犠牲を象徴する伝統的な意匠です。[1] 画面右下でキリストの手に触れる聖ヒエロニムスは、老いたティツィアーノ自身の自画像とされ、死を目前にした画家の切実な信仰心が投影されています。[1] 当初は聖母子のみの小さな構成でしたが、設置する教会の変更に合わせてキャンバスが継ぎ足され、巨大な建築的背景を持つ現在の姿へと拡張されました。[1]
晩年の特徴である「印象派」を先取りしたような荒い筆致が極限に達しており、形は闇の中に溶け込み、光の斑点として幽霊のように浮かび上がっています。[1]
巨匠ティツィアーノが自身の墓を飾るために描き、未完のまま世を去った絶筆です。死後、弟子のパルマ・ジョーヴァネによって最小限の加筆で完成されました。[1] ティツィアーノと息子は、この絵に込めた祈りも虚しく、ヴェネツィアを襲った同じペストの流行によって、わずか数日の差で相次いで亡くなりました。[1] 右下の小さな奉納画には、ティツィアーノと息子オラツィオが描かれています。当時流行していたペストから救われるよう祈る、悲痛な願いが込められています。[1] 設置場所を巡り教会側と激しく対立したティツィアーノは、教皇使節の命令書を突きつけて強引に作品を回収するという異例のスキャンダルを起こしました。[1] 巨匠の死後、作品は長らく放置され、実際に教会に掲げられたのはティツィアーノの死から52年も経った1628年のことでした。[1]