

背景の偶像は、角や尻尾を持つ悪魔のような姿で描かれています。これはキリスト教以外の信仰を「悪魔の仕業」とみなす当時の価値観を反映しており、異教の神を怪物として視覚化しています。[1] 殉教の引き金は、聖トマスが異教の偶像の前に跪いた瞬間に、その像が蝋のように溶け出したという奇跡でした。改宗を拒み激昂した司祭たちが、槍で彼を突き殺す劇的な瞬間が描かれています。[1] 画面に描かれたヤシの木は、単なる異国情緒の演出ではありません。キリスト教においてヤシは「殉教による永遠の命」の象徴であり、死にゆく聖トマスが天国で得る勝利を約束する重要な記号なのです。[1] 柱に刻まれた象の頭はインドを象徴するだけでなく、数頭の象でも動かせなかった大木を聖トマスが一人で動かしたという伝説を暗示しています。ルーベンスは限られた情報から異国の物語を構築しました。[1]
聖トマスの苦悶の表情とポーズは、古代彫刻「ラオコーン像」をモデルにしています。ルーベンスはイタリア留学中にこの彫刻を熱心にスケッチしており、極限の苦痛を表現するためにその造形を引用しました。[1]
1723年に教会が落雷被害に遭った際、額縁の作り直しに合わせて絵画の四方が切り落とされました。かつてはもう一本のヤシの木や人物が描かれており、現在よりも一回り大きな作品だったのです。[1] この祭壇画の制作費として、ルーベンスには945ギルダーが支払われました。当時のプラハの修道院長が、自身の任期最後の大きな仕事として、巨匠ルーベンスにこの壮大な殉教図を依頼したのです。[1] ルーベンスはインドの建物を描く際、あえて古代ローマ風の螺旋柱を用いました。これは聖トマスが建築家としてインド王に宮殿を建てる約束をしたという伝説に基づいた、意図的な時代錯誤の演出です。[1] インドを一度も訪れたことがなかったルーベンスは、当時の旅行記『東インド誌』を参考に現地の人物像を描きました。筋肉質な体躯に腰布とターバンという姿は、当時のヨーロッパ人が抱いたインドのイメージです。[1] 聖トマスは古代の服ではなく、依頼主である修道会の修道士と同じ黒い法衣をまとい、裸足で描かれています。これは修道士たちが聖人を自分たちの模範として身近に感じられるようにする工夫でした。[1]