

幼子イエスが左手に握っている「ヒワ」という鳥は、単なるペットではありません。これは将来彼が経験することになる「受難(十字架刑)」を象徴する、不吉で神聖な予兆として描かれています。[1]
1865年にエルミタージュ美術館が購入した際、作品は元の木板からキャンバスへと移し替えられました。この過酷な移し替え作業の過程で、画面全体が再び塗り直されるという数奇な運命を辿っています。[1] 背景の窓越しに見える険しい山脈には、レオナルドが先駆者となった「空気遠近法」が使われています。遠くの景色を青白く霞ませることで、室内の暗闇との対比による圧倒的な奥行きを生み出しました。[1]
真作か否かの論争は今も続いています。エルミタージュ美術館はレオナルドの自筆画だと主張していますが、多くの学者は弟子のベルトッラフィオかマルコ・ドッジョーノの手によるものだと考えています。[1] 作品名の「リッタ」は聖人の名ではなく、19世紀にこの絵を所有していたミラノの貴族、リッタ家に由来します。1865年にロシア皇帝アレクサンドル2世が彼らから買い取り、現在の場所へ移されました。[1] ルーヴル美術館に所蔵されている本作の準備素描はレオナルドの真筆とされますが、その裏面には別の人物が線をなぞった跡があり、工房で弟子たちの「教科書」として使われていた証拠が残っています。[1] 2011年のロンドンでの大規模な展示ではレオナルド作とされましたが、美術史家マーティン・ケンプは、この帰属は作品を借りるための「貸出条件」だったのではないかと指摘しています。[1] 科学的な分析によれば、この絵は一人の画家によって制作されたことが示唆されています。しかし、1495年頃に一度、レオナルド以外の画家の手で大幅に塗り直された形跡が見つかっています。[1] レオナルドの1478年の手記には「2枚の聖母」を描き始めたとの記録があります。本作はそのうちの1枚である可能性があり、フィレンツェで描き始められ、後にミラノで弟子が完成させたという説があります。[1] 1543年の記録によれば、この絵はヴェネツィアの貴族宅にあったとされています。レオナルドが1500年にミラノを逃れてヴェネツィアへ向かった際、自らこの小さな絵を携えていたというロマンあふれる推測もあります。[1]