

西洋美術史において、売春婦などの否定的な文脈なしに女性の陰毛を描いた最初期の作品の一つです。当時の宗教的・芸術的タブーを打ち破り、人々に衝撃と興奮を与えました。[1] 伝統的な女神のポーズをとりながらも、神話の登場人物ではなく「マドリードの庶民(マハ)」として描かれています。鑑賞者を真っ直ぐに見つめる恥じらいのない視線は、当時としては異例でした。[1] ベラスケスの『鏡のヴィーナス』が背中を見せているのに対し、ゴヤは正面からの構図を選びました。理想化された曲線美よりも、リアルな身体のラインを強調し、近代絵画への扉を開きました。[1] モデルの正体は今も謎です。ゴヤと浮名を流したアルバ公爵夫人という説や、宰相ゴドイの愛人ペピータ・トゥドーという説があり、数々の映画や小説の題材となりました。[1]
異端審問所によって1814年から1836年までの20年以上にわたり「隔離」され、一般の目に触れることはありませんでした。プラド美術館にようやく収蔵されたのは1901年のことです。[1] 1808年、スペイン異端審問所はこの作品を「公序良俗に反する不道徳な絵画」として没収。作者のゴヤは道徳的退廃の罪で召喚され、厳しい尋問を受けるスキャンダルに発展しました。[1] 制作から130年以上経った1930年、スペインでこの絵をデザインした切手が発行されました。裸体の切手は世界中で物議を醸し、一部の国では郵便物の受け取りが拒否される騒動となりました。[1] 依頼主はスペインの宰相マヌエル・デ・ゴドイ。彼はこの絵を、ベラスケスの『鏡のヴィーナス』などと共に、ヌード画だけを集めた自身の秘密のプライベート・コレクション・ルームに飾っていました。[1] 異端審問に対し、ゴヤは「ティツィアーノやベラスケスといった巨匠の伝統を継承しただけだ」と主張。歴代の王たちが愛した名画を盾に取ることで、辛うじて処罰を免れることができました。[1] 紐を引くと『着衣のマハ』がスライドして、その下からこの『裸のマハ』が現れる仕掛けだったという説があります。所有者が秘密の部屋で密かに楽しむための趣向でした。[1]