

描かれた礼拝者たちは全員が背中を向けており、顔は見えません。鑑賞者は彼らと同じ目線の高さに置かれ、まるでモスクの中に忍び込んだ観察者のような感覚を抱かせます。[1] 巨大な建築構造の壮大さを強調するため、人物たちは意図的に非常に小さく描かれています。この対比が、静寂の中に建物の圧倒的な威厳を際立たせています。[1] 天井の穴から差し込む自然光が、人物や柱の長い影を床に落としています。この光の演出が、作品全体に静謐で平和な、しかしどこか非現実的な雰囲気を与えています。[1]
「筆跡を残さない滑らかな仕上げ」という技法を極めましたが、それは深い表現よりも「表面的な模倣」を優先した結果であると、当時の批評家から酷評されました。[1]
1852年、ナポレオン3世のための大作の着想を得るべく東欧へ旅したことが、ジェロームが生涯「オリエンタリズム」に没頭する決定的なきっかけとなりました。[1] ジェロームはフランス・オリエンタリスト美術協会の名誉会長を務め、西洋人が想像で作り上げた「東洋」のイメージを固定化させる大きな役割を果たしました。[1] 思想家エドワード・サイードは、ジェロームの作品を「現地の人間よりも自分たちの方が東洋を理解していると主張する西洋人」の典型として厳しく批判しました。[1] 1898年に芸術家としては稀なレジオンドヌール勲章の栄誉を授かりましたが、一方で批評家からは「歴史を歪め、観客に媚びている」と激しい攻撃を受け続けました。[1] 衣服の緑や青はイスラム教で神聖な意味を持ちますが、ジェロームはそれらの深い背景を理解せず、視覚的なエキゾチズムとしてのみ色を配置したと批判されています。[1]
この作品は1890年に着手され、完成までに約9年を要しました。一見写実的ですが、実際には彼が何度も旅した記憶とスケッチを再構成した「想像上の東洋」です。[1]