

描かれた鎧や馬具は、単なる想像の産物ではありません。ティツィアーノは戦場で実際に使われた現物を観察して描きました。これらは現在もマドリードの王立武具博物館に実物が保管されています。[1] ティツィアーノは皇帝の突き出た下顎や疲れ切った表情を隠さず描きました。しかし、その弱々しさをあえて見せることで、かえって困難に立ち向かう不屈の意志と、静かな威厳を強調することに成功しています。[1] 皇帝が手にする槍は、竜を退治した聖ゲオルギウスのイメージを重ねたものです。これはプロテスタント軍を打ち破った皇帝を、カトリックの信仰を守る「聖なる騎士」として神格化する意図がありました。[1] 伝統的な騎馬像では馬の前脚を一本上げるのが通例ですが、本作では後ろ脚だけで立ち上がろうとする躍動的な瞬間を捉えています。これは皇帝の卓越した乗馬技術と、内に秘めた支配力を象徴しています。[1]
ティツィアーノは理想の赤を追求し、ヴェネツィアから約220gもの特注の「レッド・レイク」顔料を取り寄せました。彼はこの色を、ベルベットや絹の紅をも凌駕する「燃え上がるような輝き」と表現しました。[1] 本作は後の騎馬像の規範となりましたが、約260年後にゴヤが描いたウェリントン公爵像では、本作の英雄性を剥ぎ取り、風景に圧倒される小さく孤独な人間として描くという逆説的な引用がなされました。[1]
絵画では力強く馬を操る英雄として描かれていますが、当時の皇帝は重度の痛風に苦しんでいました。実際のミュールベルクの戦いにおいて、彼は馬に乗るどころか、担架に担がれて戦場へ運ばれたのです。[1] この傑作を発注したのは皇帝の妹、ハンガリー王妃マリアでした。皇帝自身も肖像画が自らのイメージ戦略に不可欠であることを熟知しており、ティツィアーノに「どう見られたいか」を細かく指示したといいます。[1] 皇帝カール5世は、身分の低い画家であるティツィアーノを異例の厚遇で迎えました。宮廷内に専用の居室を与え、頻繁に密談を重ねる二人の親密さに、側近たちは嫉妬と不安を抱いたと伝えられています。[1] 背景の空は黄金の光と死を予感させる不穏な暗雲が混ざり合い、「ティツィアーノの最高傑作」と称されます。これは皇帝が支配する広大な領土と、彼の内面にある孤独な魂の葛藤を同時に表現しています。[1]