

当時の基準では「ポルノグラフィック」とも言える裸婦像ですが、歴史画という枠組みを利用することで、道徳的な批判を回避しつつ官能性を表現することに成功しました。[1] 準備段階のスケッチでは、クレオパトラは床に横たわっていました。完成作で彼女を直立させたことで、カエサルを見下ろすような力強い女王の威厳が生まれました。[1]
画家は実際にエジプトを訪れていましたが、背景の神殿は自身の写生ではなく、ナポレオン遠征時の学術書『エジプト誌』の図版を引用して描かれています。[1] 当初はキャンバスではなくシルクに描かれ、大広間を二つに仕切るための「透かし」として設計されていました。実用的な調度品としての側面を持っていたのです。[1] この作品のドラマチックな構図は、後のハリウッド映画におけるクレオパトラ像に決定的な影響を与え、歴史映画の視覚的なプロトタイプとなりました。[1]
クレオパトラが絨毯から現れる有名な場面は、実は誤訳から生まれた歴史的誤謬です。本来は「旅行鞄」でしたが、この絵が「絨毯」のイメージを世界に定着させました。[1] カリフォルニアの銀行家ミルズ家によって、1870年代から1990年まで、実に120年近くもの間、一族のプライベートコレクションとして秘蔵されていました。[1] 稀代の高級娼婦ラ・パイヴァが邸宅の仕切りとして注文しましたが、完成作を気に入らず受け取りを拒否。結局、画家の義父が買い取るというスキャンダラスな経緯を辿りました。[1] 画商だった義父の手により、この絵は版画や写真として大量生産されました。映画が誕生する前から、大衆が抱く「古代エジプト」の視覚イメージを支配したのです。[1] 19世紀に欧米を席巻した「エジプト狂(エジプトマニア)」の象徴的作品です。性、奴隷、裸体、退廃といった要素が凝縮され、当時の人々の欲望を刺激しました。[1]