

最初の展覧会では『赤い雲』という題名で発表されました。血のような空の色は、単なる風景描写ではなく、内面の不穏な心理状態を象徴しています。[1] 鑑賞者に向かって押し寄せる群衆は、まるで「幽霊の葬列」のよう。近代化の影に潜むパニックを診断したムンク特有の表現として高く評価されています。[1] 前面の男女は、ムンクがかつて不倫関係にあり「二度と人を愛せない」と絶望する原因となったミリー・タウロウとその夫がモデルとされています。[1]
1896年の版画版では、前景の女性が3人に増殖。これはムンクが「すれ違うすべての女性の中に、かつての恋人の面影を見た」という執着を反映しています。[1] 版画制作では、リトグラフと木版画の2種類を制作。特に木版画は、油彩画よりもさらに「非現実的で凝縮された不安」を強調していると評されます。[1]
本作は名作『叫び』と同じ背景を用い、そこに『カール・ヨハン通りの夕べ』の群衆を合成した、ムンクの「不安」というテーマの集大成とも言える作品です。[1] 22歳の時にオスロで経験したパニック発作が着想源。足の感覚を失い、通行人が自分を凝視する死体のように見えたという恐怖の記憶が描かれています。[1] ムンクは「仮面の裏側にある、死に向かって急ぐ青白い死体が見える」と記しており、世紀末特有の社会的な崩壊感や不安を代弁しています。[1] 画面左端の山羊髭の男は、ムンクの友人であるポーランド人作家プシビシェフスキがモデル。彼はムンクに「不安」の文学的な着想を与えた人物です。[1] 芸術家ヨーゼフ・ボイスは、ムンクにとって芸術とは「恐怖から自らを解放するための手段」であり、それによって新たな世界を獲得したのだと語っています。[1]