

額縁もフリードリヒ自身が設計した重要な演出装置です。神の目や小麦、葡萄の彫刻を施すことで、単なる風景画ではなく「これは聖なる祭壇画である」と鑑賞者に強制的に認識させました。[1] 批評家ラムドールは、この絵の視点は物理的に不可能だと指摘しました。細部まで描き込まれた木の枝や岩肌をこの距離で見るには、数千歩離れた空中に浮いていなければならないからです。[1] 前景をあえて描かないことで、鑑賞者は自分がどこに立っているのか分からなくなる感覚に陥ります。まるで断崖絶壁の空中に浮いているような、神秘的で孤独な没入感を生み出しています。[1]
画面を照らす光は、単なる夕日ではありません。美術史家は、自然界の太陽とは別に「神秘的な光源」が隠されていると指摘しており、それが超自然的な神々しさを醸し出しています。[1]
宗教画が芸術の頂点だった時代、風景を祭壇画にするのは前代未聞のスキャンダルでした。新古典主義の批評家からは「風景画の分際で宗教を語るな」と激しい論争を巻き起こしました。[1] 当初は伯爵家の依頼ではなく、スウェーデン王への政治的献上品として構想されました。しかし王が廃位されたため、急遽ボヘミアの伯爵家へ売却されるという数奇な運命を辿りました。[1] 1808年の初公開時、フリードリヒは自分のアトリエを黒い布で覆い、照明を落として「即席の礼拝堂」を作り上げました。作品の宗教的効果を最大限に引き出すための徹底した演出でした。[1] 伯爵夫人の母はこの作品を嫌い、「こんなもの礼拝堂には置けない」と猛反対しました。結局、祭壇画として作られたにもかかわらず、夫人の寝室に飾られることになったのです。[1] 自分の作品が寝室に飾られていると知ったら画家が傷つくと考えた依頼主は、フリードリヒが訪問を希望しても「今は留守だ」などと嘘をつき続け、彼を作品から遠ざけました。[1] この絵はナポレオン侵攻に抗う政治的プロパガンダでもありました。描かれた「真夜中の太陽」は、ドイツ民族主義の希望の星だったスウェーデン王を象徴する暗号だったのです。[1]