

画面中央の第2の王は、デューラー自身の自画像です。特徴的な長い金髪と髭で描かれ、足元の石には彼の有名なモノグラムが刻まれています。聖書の物語に自らを登場させる大胆な自己主張が伺えます。[1] 画面にはトルコ風のターバンを巻いた従者や異国の宝飾品が描かれています。これは当時の王侯貴族が熱中した「驚異の部屋」への関心を反映しており、富と異国情緒を強調する装置として機能しています。[1] 背景の廃墟にはイタリア仕込みの遠近法が使われていますが、あえて壊れたアーチとして描かれています。人工的な建築と野生の植物を共存させることで、自然の広大さと時間の経過を表現しているのです。[1] 本作は元々、フランクフルトやケルンに現存する「ヨブ記」のパネルと組み合わされた「ヤーバッハ祭壇画」の中央パネルだったという説があります。現在は各地に散らばった巨大な三連祭壇画の一部だった可能性があります。[1]
黒人の王のポーズは、同年に制作された有名な版画『アダムとエバ』のアダムに基づいています。解剖学的に正確な脚のラインや「コントラポスト」の姿勢に、イタリアで学んだ人体美へのこだわりが光ります。[1] 純粋な赤、緑、青の鮮やかな色彩が、金色の装飾品と相まって画面に圧倒的な輝きを与えています。版画家として知られたデューラーが、色彩画家としても超一流であることを世に知らしめた作品です。[1]
1792年、ウフィツィ美術館の館長は、フラ・バルトロメオの作品と引き換えに、ウィーンの帝国コレクションからこの傑作を入手しました。国境を越えた異例の「名画トレード」によって現在の場所に移ったのです。[1] 1603年、ザクセン選帝侯クリスティアン2世は、この絵を神聖ローマ皇帝ルドルフ2世への贈り物として献上しました。皇帝の膨大なコレクションの中でも、特に重要な宝物の一つとして扱われていました。[1] 本作は、後に宗教改革の保護者となる「賢公」フリードリヒ3世の依頼で、ヴィッテンベルクの城教会の祭壇画として制作されました。デューラーがイタリア旅行の合間に到達した、初期の最高傑作です。[1] 美術史家ヴェルフリンは、本作を「ドイツ美術史上、最初の完全に明晰な絵画」と評しました。北方特有の細密描写と、イタリアの合理的な空間構成が初めて完璧な調和に達した記念碑的な作品とされています。[1]