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美術館展覧会
Théodore Géricault

Artist

Théodore Géricault

作品(7

年表

1808

1808年よりカール・ヴェルネに馬の描き方を、1810年からはピエール=ナルシス・ゲランに古典的な構図を学びました。師の厳格な古典主義に反発しつつも、その才能は早くから認められていました。1

1810

1810年から5年間、ルーヴル美術館でルーベンスやティツィアーノらの名画を模写し、独学で技術を磨きました。新古典主義にはない生命力溢れる表現を、過去の巨匠たちの作品から吸収したのです。1

1812

1812年のサロンで初の大作『突撃する近衛騎兵士官』を発表し、若くして成功を収めました。ルーベンスの影響を感じさせる躍動感と、現代的な主題への関心は、ロマン主義の先駆けとなりました。1

1816

1816年、叔母との許されぬ恋から逃れるようにイタリアへ渡り、ミケランジェロの力強い造形に衝撃を受けました。この経験が、後の代表作における記念碑的で力強い人体表現へと繋がっていきます。1

1818

代表作『メデューズ号の筏』は、当時の政府が隠蔽しようとした凄惨な遭難事件を主題にしています。国家的なスキャンダルを巨大なキャンバスに描き出し、腐敗した体制を告発する政治的な意図も含まれていました。1

The Raft of the Medusa
Evening: Landscape with an Aqueduct
General Letellier on His Deathbed
1819

『メデューズ号の筏』は、古典的な人体表現と激動の主題を融合させた作品です。新古典主義からロマン主義への架け橋となる重要な一歩であり、後の画家ドラクロワもこの作品のモデルとして協力しています。1

Alfred Dedreux (1810–1860) as a Child
1820

1820年に渡英したジェリコーは、ロンドンの都市貧困層の現実に直面します。それまでの英雄的な主題とは異なり、感傷を排したリアリズムで貧しい人々の姿を石版画(リトグラフ)として記録しました。1

Insane Woman
Horsewoman
1821

晩年、精神科医ジョルジェの依頼で、精神疾患を抱える人々の肖像画シリーズを制作しました。偏見のない鋭い観察眼で描かれたこれらの作品は、人間の内面的な苦悩を捉えた写実主義の傑作とされています。1

生涯を通じて馬を愛し、解剖学的な知識に基づいた躍動的な馬の姿を数多く描きました。1821年の『エプソムのダービー』では、疾走する馬の脚を前後に伸ばす独自の表現でスピード感を演出しています。1

A Party of Life Guards
1824

落馬事故と結核の悪化により、1824年に32歳の若さでこの世を去りました。短すぎる生涯でしたが、その革新的な表現はドラクロワら次世代の画家に多大な影響を与え、フランス・ロマン主義の扉を開きました。1

出典

  1. [1]en.wikipedia.org